嘉納治五郎と100年レガシー

嘉納治五郎先生が生を受けたのは、日本が明治維新を経て近代日本へと様変わりする時代です。世界に目を向けると、帝国主義のもと各地で大きな戦争・紛争が絶えませんでした。そのような時代において、嘉納先生は教育そしてスポーツを通して近代日本を支え、国際社会に貢献できる人材の育成を目指しました。
また、近代オリンピックの父クーベルタン男爵も同時代を生き、オリンピック・ムーブメントを通して平和な社会の実現に邁進していました。同時代にヨーロッパで展開され始めていたオリンピック・ムーブメントと照らし合わせてみることで、嘉納先生が世界のオリンピック・ムーブメントと積極的に交流し、その中で日本の体育・スポーツが発展をしていく様子が理解できます。

年齢嘉納治五郎の活動オリンピック・ムーブメント
1850-ウィリアム・ペニー・ブルックス医師、イギリスのマッチウェンロックにてオリンピック競技会開催、以後毎年開催
1859-エヴァンゲリス・ザッパスがアテネでオリンピック競技会開催
1860012月10日(旧暦10月28日)、摂津国御影村(現在の兵庫県神戸市東灘区御影町)に生まれるウェンロック・オリンピアン協会が発足
18611
18622
186331月1日、クーベルタン生誕(パリ)
18644
18655
18666画家の山本竹雲や山岸医師のもとで漢学、書を学ぶ(上京まで)リバプールでイギリス・オリンピアン協会発足
18677
18688
18699母病死
187010父と上京し、漢学を学ぶ第2回ザッパス・オリンピック(アテネ)
187111成達書塾にて書を学ぶ
187212三叉学舎にて英書を学ぶ
187313育英義塾に入学、英語・独語・数学を学ぶ
187414官立外国語学校入学、英語学等を学ぶ
187515官立外国語学校(現東京外国語大学)卒業、官立開成学校(東京大学)入学第3回ザッパス・オリンピック(アテネ)
187616
187717天神真楊流福田八之助に柔術を学ぶ
187818二松学舎塾生となり、漢学を学ぶ
187919
188020クーベルタン、パリのサンティグナス校卒業
188121東京大学文学部政治学及び理財学卒業、道義学及び審美学の選科入学(翌年卒業)
188222学習院講師就任
嘉納塾、講道館(稲荷町永昌寺)、弘文館(南神保町)を創設
クーベルタン、剣術クラブ創設
188323弘文館、学習院にも道場を設置
起倒流免許皆伝
クーベルタン、イギリスの教育事情視察
188424駒場農学校理財学教授就任
188525学習院幹事兼教授就任
188626学習院教授兼教頭就任
嘉納塾幼年舎を創設
クーベルタン、『社会改革』誌上に「イギリスのカレッジ」「イギリスの大学」投稿
188727講道館「柔の形」「固の形」制定
188828リンゼイとの共著『Jujutsu The Old Samurai Art of Fighting Without Weapons』発表クーベルタン、「教育における身体訓練普及委員会」結成、『イギリスにおける教育』出版
第4回ザッパス・オリンピック(アテネ)
188929『柔術およびその起原』発表
大日本教育会常集会において「柔道一斑並ニ其教育上ノ価値」講演
8月、ヨーロッパ派遣、上海経由でパリ、ベルリン訪問
6月、クーベルタン、万国博覧会で体育会議と学校運動遊戯会のイベント企画
9月、クーベルタン、ボストン体育会議出席のため訪米、体育事情(競技教育)視察
189030ベルリン、ウィーン、コペンハーゲン、ストックホルム、アムステルダム、ロンドン訪問10月、クーベルタン、マッチ・ウェンロックのオリンピック競技会視察
1891311月、カイロ経由で帰国
8月、結婚、第五高等中学校兼文部省参事官就任(1893年1月まで)、「瑞邦館」で柔道指導
18923211月、クーベルタン、フランススポーツ競技連盟5周年式典でオリンピック競技会復興に言及
1893336月、第一高等中学校長就任(9月まで)

高等師範学校長在職期間

9月、高等師範学校長就任 講道館新築(小石川下富坂町)
講道館女子の門下生受け入れ
8月、クーベルタン、「アマチュアリズム問題検討のための国際会議」実施要項にオリンピック競技会復興の提案を盛り込む
189434高等師範学校にて大運動会開催
高等師範の修業年限を3年から4年に引き上げる

国際オリンピック委員会(IOC)結成

6月、クーベルタン、ソルボンヌにて「オリンピック復興会議」開催(第1回オリンピック・コングレス)
189535高等師範寄宿舎の軍隊的組織を廃止
各地で武道大会が開催、一般の柔道修行熱高まる
講道館「五教の技」制定
小泉八雲『Out of the East』出版、「Jujutsu」として柔道を欧米に紹介
189636清国留学生の教育を私塾にてスタート学生スポーツの奨励のために高等師範学校に「運動会」設置
嘉納塾塾生の水泳実習実施(相州三浦郡)
第1回オリンピック競技会(アテネ)開催
クーベルタン、第2代IOC会長就任(1925年まで)
1897377月、高等師範学校校長免職
11月、高等師範学校長就任(1898年まで)
第2回オリンピック・コングレス(ルアーブル)開催(テーマ:「体育に関する衛生学、教育、歴史」)
189838文部省普通学務局長就任(11月まで)
6月、高等師範学校長免職
高等師範学校にて全学生参加の健脚競走(長距離走)実施
成蹊塾、全一塾、善養塾と嘉納塾を統合、「造士会」を創立、機関誌『国士』創刊(1903年まで)
189939清国留学生のための学校「亦楽書院(のち「宏文学院」)設立(神田三崎町)
造士会游泳演習スタート
大日本教育会の要請で講演と柔道実演
190040『日本游泳術』出版、「造士会水術」結成

参加競技に制限あるも初めて女性が参加

第2回オリンピック競技会(パリ)開催
190141高等師範学校長就任(1920年まで)
「運動会」を解消、「校友会」設置
クーベルタン『公教育ノート』刊行
1902423月、高等師範学校から東京高等師範学校に改称
東京高等師範学校に修身体操専修科設置
清国視察、張之洞と教育論議
190343留学生のために講道館牛込分場開設
弟子の山下義韶が渡米しルーズヴェルト大統領他南北アメリカ欧州にて柔道を教授
クーベルタン、「実用的ジムナスティーク委員会」結成、スポーツ大衆化の推進
190444

「人類学の日」にアイヌ男性4名が参加し入賞

第3回オリンピック競技会(セントルイス)
190545清国視察
文部省の清国留学生取締令に憤慨し、留学生多数帰国
第3回オリンピック・コングレス(ブリュッセル)開催(テーマ:「スポーツと体育の諸問題」)
190646東京高等師範学校に文科兼修体操専修科設置、体操、柔道、剣道の専攻を設ける第4回オリンピック・コングレス(パリ)開催(テーマ:「芸術・文学とスポーツ」)
中間オリンピック競技会(アテネ)
クーベルタン、「大衆スポーツ協会」設立、『実用的ジムナスティーク』刊行
日本体育会(現日本体育大学)にオリンピック競技会への参加要請くる
190747外国人特別入学規程細則により清国留学生急増
湯島聖堂大成殿にて孔子祭典復活
クーベルタン、「教育改革協会」設立
190848中等教育研究会設立、会長に就任
柔道・剣道を東京高等師範学校の全学生選択必修化
夏・秋に校内長距離走大会全学生参加化
第4回オリンピック競技会(ロンドン)
クーベルタン、駐日仏大使ジェラールにIOC委員に適切な日本人の推薦依頼
190949

IOC委員としての活動期間

アジア初の国際オリンピック委員会(IOC)委員に就任 宏文学院閉鎖
東京高等師範学校陸上運動会と水上運動会に留学生参加
クーベルタン、『体育の戦い、21年間のキャンペーン』出版
6月、クーベルタン、嘉納がIOC委員に選出が決まったことを手紙で報告
191050『青年修養訓』出版
191151大日本体育協会設立、初代会長に就任(1921年まで)
191252

クーベルタンとの最初の対面が実現

第5回オリンピック競技会(ストックホルム)に団長として参加
コペンハーゲン、ベルリン、ウィーン、ジュネーブを視察後、パリでクーベルタンと再会、ボクシングとフェンシングを見学(1913年3月帰国)

日本は嘉納治五郎を団長に監督1名、選手2名で日本選手団としてオリンピック初参加を果たす。

第5回オリンピック競技会(ストックホルム)
191353第一回全国高等学校専門学校柔道大会開催
大日本体育協会主催第一回陸上大会開催(1923年第11回大会まで継続、以降は日本陸上競技連盟主催)
第5回オリンピック・コングレス(ローザンヌ)開催(テーマ:「スポーツの心理学と生理学」)
クーベルタン、『オリンピック・レビュー』を教育刷新運動誌と意義づけ
191454講道館柔道会を設立、雑誌『柔道』創刊
大日本体育協会主催第一回水上大会開催(1924年第9回大会まで継続、以降は日本水上競技連盟主催)
第6回オリンピック・コングレス(パリ)開催(テーマ:「オリンピックの参加規則の統一」)
クーベルタン、オリンピック競技会20周年記念式典で近代社会におけるスポーツの理想的役割8項目発表
191555東京高等師範学校に修学年限4年の体育科を設置
雑誌『柔道』で国民体育について言及、「精力善用」初出
女学校、女子師範学校で柔道スタート
IOC関係文書、クーベルタン自宅(パリ)からローザンヌに移転
191656第6回オリンピック競技会中止
191757『愛知教育雑誌』で「国民の体育に就て」を発表第3回極東選手権競技会開催(芝浦)
191858東京高等師範の大学への昇格運動本格化
朝鮮訪問
オリンピック学院(ローザンヌ)創設
191959嘉納塾閉鎖
雑誌『柔道』を『有効の活動』に改題
192060講道館段級規定発表
1月、東京高等師範学校長を依願退職 2月、高等師範出身の金栗らによりのちの箱根駅伝となる四大校駅伝競走開催
6月、第7回オリンピック競技会(アントワープ)臨席のため米国経由で渡欧、クーベルタンと再会、プラハ等、欧州の教育事業視察
7月、ロンドンで柔道の実演と講演、武道会訪問
ロサンゼルスにて柔道の講演

テニスで日本の熊谷一彌、柏尾誠一郎が銀メダル(日本が初めてオリンピックのメダル獲得)。

第7回オリンピック競技会(アントワープ)、オリンピック宣誓及びオリンピック旗が初めて導入される。
1921612月、外遊より帰国
大日本体育協会会長辞任、名誉会長就任
5月、第5回極東選手権競技会(上海)にIOC委員として出席
第7回オリンピック・コングレス(ローザンヌ)開催(テーマ:「オリンピックプログラムと参加規定の修正」)
192262講道館文化会創立、「精力善用」「自他共栄」を発表 貴族院議員就任
東京高等師範学校の大学昇格案が議会通過
台湾訪問
クーベルタン、ローザンヌに定住、『スポーツ教育学講義』出版
192363金曜会で「自他共栄精力最善活用論」講演
樺太訪問
関東大震災直後にスポーツによる復興を提唱し実践する
5月、第6回極東選手権競技会(大阪)
192464東京高等師範学校名誉教授就任
第8回オリンピック競技会は体調不良のために欠席
第1回冬季オリンピック競技会(シャモニー)
第8回オリンピック競技会(パリ)。レスリングで内藤克俊が銅メダル。
第1回日本女子オリンピック大会(大阪)
岸清一、IOC委員就任
192565大日本体育協会が総合競技団体となる第8回オリンピック・コングレス(プラハ)開催(テーマ:「オリンピックの教育学」)
クーベルタン、IOC会長辞任
192666学校体育における柔術が柔道に改められる
講道館女子部発足
英語協会発起人会会長に就任
台湾訪問
192767「精力善用国民体育」創設
各地で「精力善用」「自他共栄」について講演
嘉納塾出身の杉村陽太郎、国際連盟事務局次長に就任
192868第9回オリンピック競技会(アムステルダム)臨席、イタリア、イギリス、ベルリンで柔道の実演と講演、国連事務所訪問(ジュネーブ)
12月、上海訪問
第2回オリンピック冬季大会(サンモリッツ)

陸上・三段跳びで織田幹雄が日本初の金メダル獲得、競泳200m平で鶴田善行が金メダル、陸上800mで人見絹江が日本女子初メダル(銀)。

第9回オリンピック競技会(アムステルダム)。聖火が初めて導入される。
クーベルタン、ローザンヌ大学でスポーツ教育学国際事務局の設置を講義
192969東京文理科大学創立、祝賀会に出席
ローマ字会に出席
193070第9回極東選手権大会(東京)開会式にてIOC委員として祝辞第9回オリンピック・コングレス(ベルリン)開催(テーマ:「オリンピック規定の修正」)
193171『柔道教本』刊行10月、東京市がオリンピック開催要望を決議
193272

IOC総会の席上で永田東京市長の招待文を朗読し演説

第10回オリンピック競技会(ロサンゼルス)臨席
南カリフォルニア大学で柔道の実演と講演
ハワイ訪問(9月に帰国)
第3回オリンピック冬季大会(レークプラシッド)

日本からは192人の大選手団派遣、西竹一(馬術)、南部忠平(陸上)、吉岡隆徳(陸上)、清川正二、鶴田善行(競泳)ら活躍。男子競泳は5種目で金メダルを獲得。

第10回オリンピック競技会(ロサンゼルス)
1933736月、IOC総会(ウィーン)出席のため渡欧、同総会で、杉村陽太郎、IOC委員就任ドイツ体育祭(シュトゥットガルト)臨席。フランス政府からの体育に関する名誉金章受章。ベルリンではアドルフ・ヒトラー総統と会見、バイエルン政府主催柔道講習会で指導、ウィーン、ロンドン、フランスでも柔道の講演・実演、シンガポールの柔道大会で講演(11月帰国)
193474講道館新築(水道橋)
柔道世界連盟案
4月、IOC総会(アテネ)出席のため渡欧、同総会で副島道正、IOC委員就任。
アテネのパルナサス協会、ウィーン、ロンドンで柔道の実演と講演。カール・ディームらと会談。(9月帰国)
クーベルタン、ローザンヌ大学でオリンピック復興40周年記念式典で講演
193575中華民国の王正廷と懇談クーベルタン、「近代オリンピズムの哲学的基礎」と題し、ベルリンでラジオ放送、「スポーツ的宗教観念」主張
副島と杉村、ムッソリーニと会見し、東京オリンピック招致への支援を要請
193676

IOC総会にて第12回競技会(1940年)開催地が東京に決定

第11回オリンピック競技会(ベルリン)臨席
アメリカ、イギリス、ポーランド、ルーマニア訪問(11月帰国)
第4回オリンピック冬季大会(ガルミッシュ・パルテンキルヒェン)

日本選手団では、孫基禎(マラソン)、田島直人(陸上)、前畑秀子(競泳)ら活躍。

第11回オリンピック競技会(ベルリン)。初めて聖火リレーが導入される。
ラツールIOC会長来日
杉村、IOC委員辞任
193777クーベルタン逝去(9月2日、74歳)
193877IOC総会(カイロ)で第12回オリンピック競技会を東京、冬季大会を札幌にて開催することを確認
ギリシャ、アメリカを経てバンクーバーから帰国途上の船中で肺炎のため逝去(5月4日、77歳)
7月、第12回オリンピック競技会(東京)、第5回冬季大会(札幌)の返上
出典
  • 講道館編『嘉納治五郎大系 第13巻 年譜』本の友社、1988年
  • 清水重勇『スポーツと近代教育下巻 フランス体育思想史』紫峰図書、1999年
  • 日本オリンピック・アカデミー編『ポケット版 オリンピック辞典』楽、2008年
  • 生誕150周年記念出版委員会編『気概と行動の教育者 嘉納治五郎』筑波大学出版会、2011年

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