嘉納治五郎と100年レガシー

日本のオリンピック・ムーブメントの始まり

日本のオリンピック・ムーブメントは、嘉納治五郎がIOC委員に就任してから始まりました。 嘉納が近代オリンピックの生みの親であるクーベルタン男爵の要請を受諾し、IOC委員に選出されたのは1909年5月27日でした。当時の嘉納は、オリンピック・ムーブメントに匹敵する次のことを、既に実践していました。

  • A. 講道館柔道を1882年に創設し、柔道を通して人間教育を実践していた。
  • B. 1894年以降、東京高等師範学校長として、学生に体育やスポーツを課し、その価値を理解していた。
  • C. 1896年から中国人留学生を7,000人以上受け入れ、スポーツを通した国際交流を実践していた。

1911年7月、嘉納は、オリンピック選手の育成と生涯スポーツの推進を図るために、大日本体育協会 (現・日本体育協会) を設立。
同年11月、オリンピック選手選考会を開催し、翌1912年に2名の選手を連れてストックホルムで開催された第五回オリンピック競技大会に団長として同行、日本のオリンピック初参加を実現しました。
嘉納は1938年に没するまでの 29年間、IOC委員として世界を飛び回り、 オリンピック・ムーブメントの世界的推進に貢献したのでした。

嘉納治五郎の今に伝わる「100年レガシー」として、次の点が挙げられます。

  • 1. 柔道による人間教育
  • 2. 学校体育の充実
  • 3. 生涯スポーツの振興
  • 4. スポーツによる国際交流・国際貢献

嘉納からの今に伝わる【100年レガシー】

1. 柔道による人間教育

嘉納は伝統的な柔術を合理的考えを取り入れて再編し、「柔道」を創設しました。事実を観察する科学的な態度、正義感、公正さや謙虚さを身につけるとともに、修行で得たことを社会生活に活かしていくことを目指しました。

そして、目的を果たすために最も効果的な方法を用いつつ、それを実生活に活かすことを「精力善用」、その実践を通して社会の進歩・発展に貢献することを「自他共栄」と表現しました。

柔道の稽古が女性にも強健な心身を育む効果があることを確認した嘉納は、1893年から女子の講道館入門を許可し、更に1926年には講道 館に女子部を開設しました。

嘉納は、「精力善用」「自他共栄」の考えを身につけた人材を社会に輩出することで、社会を改革することができると信じていました。これはクーベルタンのオリンピズムの精神と共通する考えで、オリンピックの価値 (Excellence, Friendship, Respect - 卓越、友情、尊敬)を定着させ、平和な社会を構築するのに重要な視点といえます。

2. 学校体育の充実

嘉納治五郎校長の努力により、教師の養成所であった東京高等師範学校内に「体育科」が1915年に開設されました。それまでの体操科は修業年限が3年でしたが、体育科では4年制になり、内容が充実し他の教科と同等になったのでした。併せて、課外活動を学校教育として行うことにより、誰もが学校でスポーツを行えるシステムを構築し、全国に普及させました。

様々なスポーツを学校で行えることは、日本の優れたシステムといえます。

3. 生涯スポーツの振興

嘉納は、男女の別や年齢、器用さに関係なく、誰でもできる日本人に適したスポーツとして水泳と長距離走を重視し、東京高師の全生徒に経験させ、全国の学校に指導者として派遣して、国民的なレベルで普及を図ったのでした。また、1911年に大日本体育協会を創設すると、陸上と水泳のみならず、様々なスポーツを普及させました。

今日の日本のスポーツで最も盛んに行われているのは、ジョギングと水泳であり、柔道を含めるとこれらの種目はオリンピック競技大会でも日本人が強いスポーツです。これらのスポーツに日本人が親しんでいるのは、嘉納のレガシーといえるでしょう。

4.スポーツによる国際交流

嘉納は、明治以降、最初に留学生を受け入れた教育者です。1896年から1909年まで、当時の中国からの留学生を7,000人以上も受け入れました。日本語、人文学や自然科学の勉強のみならず、留学生にも柔道や長距離走、テニス、サッカーなどを行う機会を提供しました。

東京高等師範学校では、中国人留学生のサッカーチームが結成され、都内の学校と対外試合が行われました。日本人学生は、彼らが格段に上達したことを称え、故国に戻ったら、スポーツ界の発展にも尽くしてほしい、とエールを贈っています(1909年)。

現在日本では、2020年までに留学生30万人を受け入れようとしていますが、「自他共栄」のレガシーがそこに生かされるに違いありません。

オリンピック・ムーブメント100年レガシー

嘉納治五郎はIOC委員就任後も、体育やスポーツによる人間教育、外国人の若者と日本人学生とのスポーツを介した交流を活発に行いました。

嘉納は、武道的精神とオリンピック・ムーブメントの理念を融合させて、オリンピックをグローバルな文化にするために、1940年のオリンピック競技大会を日本に招致しようと努力しました。

クーベルタンも、東京でオリンピックが行われることで東西の文化が接触し、新たなオリンピック理念が生まれることを期待していました。嘉納はオリンピック・ムーブメントには、西洋の思想のみならず、多様な価値が含まれることを示したのでした。

日本では、1964年の東京オリンピック大会の際、学校教育にオリンピック学習が取り入れられ、世界に先駆けてオリンピック教育が実施されました。

また1998年の長野冬季オリンピック大会では、一つの学校が一つの参加国・地域の文化を学びながら交流する「一校一国運動」が行われました。「一校一国運動」は、その後の大会開催地でも受け継がれています。

嘉納が柔道や教育活動を通して行ったように、私たちも日本発の国際社会への貢献、オリンピック・ムーブメントへの貢献を積極的に行い、発展させていかなければなりません。

嘉納治五郎記念国際スポーツ研究・交流センターより次の100年レガシーに向けて

当センターでは、スポーツを通した人間教育と国際交流、ドーピング防止活動、オリンピック教育やオリンピズム研究などのプログラムを展開します。

それらを通して「精力善用」「自他共栄」という嘉納治五郎の精神を引き継ぎ、社会に広めると共に、国内外のスポーツの発展と世界平和への貢献に力を尽くしていくことを重要な責務として活動を行います。

スポーツ振興くじ助成事業このコンテンツはスポーツ振興くじ助成金を受けて作成しています

JAPAN SPORT COUNCIL

大きな地図で見る

〒150-8050
東京都渋谷区神南1-1-1
岸記念体育会館内
TEL: 03-5790-9656
FAX: 03-5790-9657